ラ・シ・サって何でしょうか?
自分らしさってよくいいますよね。
栗原選手を見ていると『自分らしさ』って大切だなぁ〜って
思います。
栗原選手って作為がないんですよ。そのまんま。
ある意味”天然”と言ってもいいかもしれません。
いい意味での”天然”なんですが。
遠藤京子と言う歌手がいるんですが80年代の歌手で
あまりヒット曲に恵まれていないのでご存知な方は少ないかと
思いますが、彼女のファーストアルバムに『アリス』と言う
曲がありましてこの曲私、大好きなんですが、歌詞の中に
”何故そんなに綺麗かあなたは知らなくていい”とあり
そのアンサーとして”気が付かないからそれ程までに美しい”と
締めくくっています。
何がいいたいかと言うと、栗原選手も同じだと思うんですよ。
無意識の笑顔、強さ、優しさが彼を形成しているんじゃないかと。
1軍で活躍し始めても自分には分相応と、軽自動車で将来の奥さん、
聖良さんとデートした話とか、高校時代は、何故そんなに練習する
のかと尋ねた弟さんに、今日と言う日は二度と来ない、だから悔いの
残らないように練習するんだと答えた話とか、とても10代後半や
20代前半の青年が、しかも、将来を嘱望された野球選手が感じ取れる
感性ではないと思います。
彼は間違いなく『自分』と言うものを持っていて、それがぶれる事が
ないんです。だから、WBC落選後も居残りしてバットを振った。
それに応えて、指揮官はケガで途中交代した村田選手に代えて、迷うこと
なく、栗原選手を召集したのだと思います。
雑誌の対談で本人の言葉として、チャンスで凡打しても、調子が悪くても
ファンからあまり野次がなくて、逆に励ましの言葉をもらえる。
新井さん(現:阪神)の時は、本当に酷い野次がありましたけど・・・。
と言うのがありました。
これこそ正に彼の天然たる所以、気が付かないからいいんですよ。
新井選手もファンサービスは素晴しかったと聞きます、ではその違いは何?
一言で言えば『迷いが無い』からでしょうか?
精一杯、一生懸命やっているのはどの選手も一緒なんですよ。
ただ、その努力のベクトルがどちらに向いているか、それがはっきり
しているのが栗原健太と言う選手なのだと思います。
天然だからと言ってけっしてKY(空気読めない)ではないんです。
周りにも気を使っているんです。
昨日も、自分はケガでフリーバッティングは出来ないんですが、
同じ右打者の山本翔選手の練習を見て、自らのフォームで示しながら
アドバイスをしていました。
それは傲慢でも、高圧的でもなくそれでいて真摯にアドバイスして
いました。この辺りが栗原の栗原たる所以なんでしょう。
オールスターはもちろん、早期復帰を切に願います。
posted by 和をん at 15:38| 広島 🌁|
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栗原 健太
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